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明日は明日の風が吹く

無味無臭・人の記憶に残らないをモットーに人間関係の荒波をいきていく30も半ばを過ぎた私の鬱日記

『ぼっち』恐るるにたらず

考える葦

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             ※画像はイメージです

 

今の土地に引っ越して2年が経過した。

 

子供が小学校に上がってからの引っ越しであったから

当然私に新しい友達はできなかった。

 

授業参観に行っても『ぼっち』

子供のスポーツの試合観戦に行っても『ぼっち』

自治体の行事に行っても『ぼっち』

 

いっそ清々しい程に『ぼっち』であった。

清々しさが転じて光り輝く私のまぶしさ故皆こちらを見ないのかと錯覚するほど

透明人間的『ぼっち』であった。

 

趣味は人間観察です。なんていうほど他人に興味はなく

 

むしろ自分をひたすら見つめて内面を掘り下げて

あまりの孤独さにウフフと内輪受けするのが好き。

 

なので、人のことをそんなに見ているわけではないのだけど

 

そのうちに嫌でも見えてきてしまった。

くんずほぐれつ している人間関係。

 

ありとあらゆる人間関係の拗らせ方のモデルパターンがこの土地にはあった。

 

見えてくるというか、そのうちにいくつかのグループが接近してきたというわけ。

脱・透明人間。

一緒にランチ行きませんか的に。

しばらく接近遭遇したグループとのランチ会を一巡してみる。

 

一巡してみて再確認できたのは

 

拗らせた人間関係の果てにはグループ間の対立という

専業主婦の暇つぶしがあって

 

ランチ会はトライアル。トライアルを突破すると

そのうちに対立グループの悪口を聞くことになり

 

あなたも対立グループの悪口を言ってみな。

それが出来なきゃ同調して対立グループとは近づくな。

 

というグループ入会の最終テストとしての踏絵が用意されているのだ。

 

踏むかっつーの。

阿呆か。阿呆だろう。中2だろう。いやまともな中2に謝れ。今すぐ謝れ。

 

両方のグループからお互いの悪口を聞けば

お互い悪いところがあることぐらいわかるよ。

 

人は見たいようにしか見ないし

聞きたいようにしか聞かない。

 

しかし他人(私)を巻き込まないでくれ。

 

私は『ぼっち』であることで自分の自由を守った。

なんと自由であろうか『ぼっち』

 

そんなこんなで2年経過。

 

今は友人宅を周っておうち飲み会をしたり

マイケルファンの集いで一緒にダンスをさせてもらったり

明日は自宅たこ焼き会で子供20人呼ぶことになったり

 

もはや『ぼっち』とは言い難くなってしまった。

すっかり飼いならされてしまった。

 

しかし私の前では誰も誰かの悪口は言わない。

 

言わない人とお付き合いしているのが大半。

 

誰かの悪口を聞くことがあっても

悪口を強制したりあの人と仲良くするな等の圧力はかからなくなった。

聞く方は心がすさむけど悪口を言っちゃう心の弱さは容認する。

愚痴ぐらいは聞く。同意しないし、あなたの側には立ってあげられないけど。

 

『ぼっち』の輝きは失っても

心は基本『ぼっち』である。

『ぼっち』万歳!