明日は明日の風が吹く

無味無臭・人の記憶に残らないをモットーに人間関係の荒波をいきていく30も半ばを過ぎた私の鬱日記

生存戦略的に石ころ帽子をかぶっています

「人の記憶に残らない無味無臭の人物になること」

 

ここ数年の私のモットーです。

とにかく目立つことは避けたい。

正直名前なんか覚えてもらわなくても良い。

今日もひっそりこっそり世界の片隅で気配を殺しながら生きています。

そう、未来からの使者が持っている秘密道具:石ころ帽子をかぶって。

 

今現在外に出て働いているわけでもなく

攻める姿勢に出る必要も感じずに

心に波風立てずに毎日を過ごしていきたい私にとって

石ころ帽子をかぶるというのは生存戦略だ。

 

20代の頃なんかは仕事で向上心もあったし

数字の世界で生きていれば

努力すればそれなりの成果もついてきたし

それなりの成果があれば意味もなく敵対してくる人を

私の言葉ではなく数字の力を持って黙らせることもできた。

 

 

もちろん数えきれないほどの失敗もしたし

自分に絶望もしたし

自分に希望だって持っていて

 

希望と絶望と失敗と挫折と。

ほんのわずかな成功を日々繰り返して

毎日を過ごしてきた若き日。

 

今私は自分になんの希望も抱かない。

絶望するほど自分に期待もしていない。

挫折感を感じるほどのチャレンジはもうしない。

 

誰の目にも止まらずに

争いごとに巻き込まれずに

派閥にも属さずに

 

あのひと誰だっけ?

 

と言われるぐらいの存在感の薄さで毎日を過ごしていきたい。

昔はこんな刺激のない生活なんて考えられなかったのだけど。

 

結婚して夫の希望で専業主婦になって

夫の赴任で外に出て働くという事も今は不可能で

特に誇れる自分などなにもない今の私にあるのは

家庭と子供と地域に関する少々のお付き合い。

 

私が属しているかくのごとき狭い世界の中でもママ友の世界は特殊で

 

夫の職業だとか

夫の年収だとか

子供の出来だとか

ママ友の数だとか

 

それらが自分の評価であると本気で思っている人たちがいる。

夫の評価=自分の評価という図式が全く分からない。

わからないのに凄いでしょうと暗に同意を求められる。

私は思ってもいないことは言わない。

だからこそ、そういう人たちの前で私は石ころ帽子をかぶる。

私が見えませんように。

 

ママ友世界の諍いを子供の世界にまで浸食させて

子供を仲間はずれにするという狂気の沙汰を目の当たりにしたこともある。

 

私の子供が無事ならばもうずっと石ころ帽子をかぶっていようと思う。

 

時々路傍の石に気が付いて友達になってくれる人もいるのだけど

石ころの分際で好きな人の前にこっそり身を挺しているのはここだけの話。

 

石ころ帽子をかぶった私も私の子供も今日も平和です。

石ころ帽子をかぶりながらブログなんて書いている矛盾も飲みこみながら!