寺地はるなさん「こぐまビル」を読んで
ゆっくりと一文字一文字なぞるように読みたかったので
昨日届いた「こぐまビル」子供たちが寝静まってから寝室の読書灯で読みました。
「こぐまビル」
はてなブログでおなじみの寺地はるなさんの作品で
2014年太宰治賞最終候補作となった作品です。
悩みは特にありません。(こちらがはるなさんのブログ)
ネタバレしないように書こうと思いましたが難しかったので
未読の方はご注意ください。
バラします。むしろ積極的にバラしていきます。
※以下ネタバレ注意です※
これは喪失を抱えた主人公の再生の物語なのかなと思いました。
人間生きていれば辛いこと悲しいこと傷つくこと何かを誰かをなくしてしまうこと幸せだと気が付く前に手のひらから零れ落ちてしまうこと
そして時間は二度と戻らないという平等の理のもとに
心に空洞をかかえて生きていくわけですが
その空洞の中にある自分の気持ちに
それは悲しい。それは淋しい。それは愛しい。
と名前を付けていくことから主人公は始めるのかな。と。
タイトルの「こぐまビル」という柔らかな響きと
はるなさんのユーモアあふれる文章(ブログを読んでる方ならご存知でしょう)
「こぐまビル」にまつわるキャラクターも、みんないい。
セリフのやりとりでも地の文でもクスリとさせられます。
しかし、タイトルや作品全体を覆う柔らかさとあたたかさの中
物語は急展開を迎えて、一読者としてはもう、やめたげて!という心持になります。
でも、物語はとまらない。柔らかい分だけ、痛い。
(ここは作者であるはるなさんのテクニックなんだと思いますが
この転換点に思いっきり揺さぶられて引き込まれます。)
さっきまで主人公のやり取りにクスリとしていたのに気が付けばちょっと、涙が出ていました。
辛い思いをしても明るくあろうとする主人公の気持ちもわかる。
支えを仮定しないで独りで立とうとすると強く明るくなくてはと、思うんじゃないだろうか。
そんな主人公をとりまく他の登場人物が主人公の痛みをそっと見守っているのがあたたかい。強く明るくなくても大丈夫。
そして、この作品の目玉ともいうべきキャラクターの「おじいちゃん」
主人公の祖父である「おじいちゃん」と「おじいちゃん」のこぐまビルがあれば
きっと、大丈夫。おじいちゃんとこぐまビルがポーラースター。
主人公はゆっくりと再生していくのかなと思いました。
太宰治賞というのでなんとなく太宰の「斜陽」を思い出しながら。
あれも滅びと再生の物語だったのだけど
太宰の滅びの美学が強すぎて、再生よりも滅びと闇の美しさが際立った作品でした。
でも、はるなさんの物語は違う。
遠くから、かすかな光でも常に照らしてくれるゆるぎないものがある。
最後の。最後の主人公の立ち姿がとても好きです。そしてその文章も。
心にポーラースターがあれば、きっと大丈夫。
( また、はるなさんの小説が読みたいです!!)