ブックマークコメントで凹んだ時に思う事
どうも。過去に
「DQNで低所得で馬鹿親のブログはこちらになります」
とツイッターで拡散されたこともあるブログ主です。
最近チラホラとブックマークコメントに傷つくというエントリーを見かけて
かくいう私も、はてなに来てちょうど1ヵ月ぐらいでこんなエントリを書いていたなあ。と思い出す。
初心者が垣間見た奥深きはてなの世界2~はてなブックマークという諸刃の剣~ - 明日は明日の風が吹く
ブコメ見ないようにすればいいよ。というアドバイスも頂いたのだが
駄目だ。私、ツイッターまで確認してるし。
アドバイスは生かせておりませんすいません。
ブックマークコメントを見ないという選択ができないのであれば
①だまって耐える
②反論する
③idコールをかけて素手で殴りあいをする
この3択のいずれかを選ぶしかないんだろうけど、まあ①だよね。
以前、子供の話題でエントリを書いた時にコメント欄に子供が嫌い的なハンドルネームの方が毎日書き込みにいらして、お互い全く違う立場から発言をするわけだけど、正直最初はコメント欄を見るのも嫌で、気が重く、感情的に書き込まないようにするために時間ばかり取られるというかなりの消耗戦を経験したことがある。
(この時にコメント欄を閉鎖しようか真剣に検討した)
この方とは交換日記みたいにコメントしあっていたので最終的にはなんだか相手が可愛らしく思えるようになったのだけど、そこまで気持ちが変わるのには時間もかかるし、そんなのは結果論であって、やっぱり②と③はナシ。
(ええと、子連れ大嫌いさん、見てる?元気?今の戦隊ものおもしろい?)
そう。①だまって耐える。一択。これよコレコレ。私はね。
ブックマークコメントで凹んだ時に
こんなことを言う人は私の周りにいない。
こんなに考え方の違う人も周りにいない。
と思って自分を慰めてみたりもしたのだけど
冷静に考えたらそれもちょっと、違うな。と思った。
ブログのエントリとブックマークコメントは
リアル(日常生活)の縮図かもしれないと思った。
ブログというものを私という人間の全体像だと仮定すると
一つ一つのエントリは私の色々な部分。
育児に対する考え方だったり
夫に対する考え方だったり
趣味の読書や映画やアニメや料理に関することだったり
それらの部分的なことが集まって私という人間を構成しているのだけど
日常生活においても私の全体像を理解してもらうことはあたりまえに不可能で
日々のエントリに当たる部分部分が相手に少しでも伝わっているかもしれない。伝わっていないかもしれないという程度(むしろ私はあまり伝えない)
そしてブックマークでいただくコメントは
私の半径5メートルぐらいのごく身近な人も
私に抱いている感想かもしれないと思った。
それが批判であれ、罵倒であれ、心の中は誰にもわからない。
馬鹿親と思われているかもしれないし(育児方針の違い)
低所得と思われているかもしれないし(夫に悪いわ)
勝手に傷つく繊細ジャンキーと思われているかもしれない
(頂いたブコメ言いえて妙なんですけど)
匿名で書かれているブコメが実際に身近な人に思われているかもって
可能性に思い当って逆に腑に落ちた私でした。あれ、救いがないですか。
世の中そんなものではないですか?
そして私のごく一部分に反感を抱いても
私の全体像が否定されるわけでもないし
私はそれで相手との関係を終わらせたいとも思わない。
相手が思った場合はどうしようもない。そうか。と思って呑み込む。悲しみ。
とはいえ、ブックマークコメントにはこれからも凹んでいく所存でございます。
私の場合はここでしか出さない本音を否定されるから余計凹むのかな。
最後に。コレ、前にも書いたけどはてなでのほほんと続けるために
私が頭に思い浮かべるのはナウシカの原作のこのセリフ。
私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ
※一番瘴気マスクっぽかったの”中国人民解放軍 65式ガスマスク レア本物未使用”
血ィ吐いてんだろうがよ。のほほんとしてないだろうよそれは。
凹んでも凹んでも立ち上がるという人生の縮図でもあるのかはてな。
可愛い我が子(PRO会員含む)を崖から突き落とす運命にあるのかはてなブックマーク。
(会社としてはどっかんどっかん炎上した方が良いだろうに非表示機能付けたりして偉いと思う)
ちなみに今までで一番ジワジワきたコメントは
文章が嫌い。
ああーーー。これはジワジワ来る。ああーー……。