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明日は明日の風が吹く

無味無臭・人の記憶に残らないをモットーに人間関係の荒波をいきていく30も半ばを過ぎた私の鬱日記

私は簡単に癒されたり救われたりなどしない

世の中生きていれば少しばかりモヤっとすることから大いに憤慨して殴りつけた壁に穴をあけたくなる程度のことまで嫌な事なんて無数に転がっているものだけど

 

勿論私は壁を殴って穴を開けたりはしないし

そもそも人に愚痴を言うことがない。

 

物理的に解決できる事であれば自分に出来る限りのことはするし

解決が不可能な事であれば落とし所を慎重に見極めてお互いの損失が平等な所まで持っていこうとも思う。

それは仕事であっても人間関係であっても夫婦関係であっても同じ。

割り切れないことなんて無数にある。

 

日常における割り切れなさや、やるせなさはいつも自分の中のどうしようもないBOXという名のブラックBOXに入れてさらにパンドラの箱化して厳重に封印して2度と開けてはならぬと自分に言い聞かせながら時々流れ出そうになるヘドロをぐっと飲み込んで自分が平気な顔が出来ているかをセルフチェックする。

大丈夫。私はまだちゃんと笑えている。

不安も不満も憎悪も外には流れ出していない。大丈夫。

 

と、まあ、これだけリアルの世界で僅かにでも出さないようにしている

自分の恥部とも言うべき暗部をですね、このブログでですね、垂れ流し放題に垂れ流しているのは本当に申し訳ないなって思ったりもするわけですけれども。

 

パンドラBOXから救いあげて言語化して再認識してさらにブログにアップしたりして全世界に発信するなどという手段を覚えてしまってからはすっかり気分が軽くなったりもしてもっぱら自浄作用に使わせてもらっているわけですけれども。

 

こうやってブログを書いていると様々なブログとの出会いがあって

 

私が読んでいる様々なブログの向こうには生身の人間がいて

私と同じように悩んだりもしながら

笑ったり仕事をしたり美味しいものを食べたり子育てしたり

でもやっぱり泣きたくなったりもするのかもしれないと思いながら

 

相手のブログの本文から感情の揺れが伝わってきたりもして

それが喜怒哀楽のどの感情でも私は共振している。

共感だったり反発だったり様々な形で共振する。

 

ごくたまに相手のブログを読んで号泣したりもする。

 

相手はそんなつもりではないのに私に向けて書かれたものでもないのに。

号泣しながら救われた気持ちになってしまったりもするんだ。

 

時々はブログの書き手に送ったコメントに相手からのリアクションをもらえることもあって(これがはてなの良い所)

心にともしびが灯ったかのようにあたたかくなってしまうんだ。

 

人に愚痴を言えないのは自分の弱さを見せられないだけの私が

簡単に癒されたり救われたりしないと思っている私が

 

ブログに触れ相手の人柄に触れてさらに少しばかりの物理的接触で

泣きたくなる程あたたかな気持ちになって救われた気になってしまうんだ。

 

相手の顔も名前もわからない不確かなインターネットという世界で

安易に救われた気持ちになってしまう自分を

メタ視点で見ている自分が「簡単だな」って嘲笑ったりもして。

 

ここでいくら救われた気持ちになっても相手のリアルに触れたつもりになっても

現実の世界に救済が待っているわけでもないのだよ。と。

 

それでも。

あたたかいと思う。

顔も名前も知らない何処かの誰かと触れ合えるこの機会を私は愛している。

 

リアルでは決して交わることのないであろう人たちとの接触に

勝手に救われた気持ちになって私は現実へとかえっていく。

今日も暮れて明日はまた来るのだから。

 

少しばかり救われてしまった私は明日が来るということも幸せだ。と思う。

 

癒されなくったって救われなくったって

明日は明日の風が吹く

願わくば現実にも優しい風が吹きますように。

私にもあなたにも。