愛されるという事の不確かさをおもう
今回のBGMはkinki kidsのあの曲で。
- アーティスト: KinKi Kids,森浩美,Sally-Shu,CHOKKAKU,岩瀬聡志
- 出版社/メーカー: ジャニーズ・エンタテイメント
- 発売日: 2007/12/26
- メディア: CD
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とても狭い世界で生きている私に話せることと言えば
夫の事か子供の事か自分の考えていることぐらいが関の山で
ただただ私の日常生活の欠片と思考(&嗜好)の色が堆積していくだけの
私のブログですが
数少ない書けることの一つの夫に関しては
色々と目をつむった挙句に
良い所だけを抽出して濾過して更に煮詰めて
結果的に格好良さを5割増しにして書いており
遠い未来に夫にブログがバレた時のためにも
万全の体制はとっているわけなんですが
時々ね
時々旦那さんから愛されているね的なコメントを頂くことがあってね。
もうね、そうするとね、なんだかどこかしこかが痒くてしょうがないわけです私。
座り心地が悪くて悪くてモゾモゾしちゃう。
わかってるんですよ。時候の挨拶的なモンだってのは。
わかってるんですけど。
「愛されてる」というキーワードに対するアレルギーかもしれぬ。ぐぬぬ。
良い旦那さんですね。
優しい旦那さんですね。
良くできた旦那さんですね。
はOKなんです。むしろそう読めるように書いているし。
実際私は夫の事が好きなので好きな人を褒められるのは大層嬉しいものです。
夫が浮気しててもバレなきゃいい。がボーダ―ラインの私にとっては
もう良い旦那さんという言葉の定義があいまいになってきているわけですが
もっと健全な感覚でブログを読んで下さる方にそう言われるのは嬉しいのです。
でも
良い旦那さんに愛されていますね。
優しい旦那さんに愛されていますね。
良くできた旦那さんに愛されていますね。
となると、もう駄目なのです。
ウアーーーーーーーーーーッッッ。
って叫んで夕陽にでも暁にでも向かって走り出したくなる。
とても正気ではいられません。
愛されるとは何ぞや。
愛されるというのは良くも悪くも自分の感覚を頼りにするだけの話であって
過小評価も過剰評価もいかようにもできてしまう恐ろしい言葉です。
どれだけ相手が私を愛していても
愛されていないと私が思えば愛など軽く霧散するし
相手が全く私を愛していなくても
私が相手から愛されているとおもえばそこに愛という重さが加わってしまう。
相手が思う「愛」と受け取る側が感じる「愛」は決してイコールにはならない。
とてつもなく不確かな概念だと思うのですよ愛されているって。
そこであれですよ(どれだ)
今回のBGM指定のあの曲のサビの歌詞ですよ。
光ちゃんマジ王子
愛されるよりも愛したいマジで!!!!!
これならば自分発信だから安心できます。
愛されているかどうかなんてどうでもいいんです。
いや、良くないのかもしれないけど
愛されているならば嬉しいのだけれど
私が快適に生活できることはいくら感謝しても足りないのだけど
私の快適さが夫における愛の形(おそらく)だというのも理解していますが
愛されるよりも愛したいマジで!
最近単身赴任中の夫とLINEを始めたのですが
ちっとも返事が返ってこないんです。ちっともじゃない。一度も。
もう私、既読をファボだと思うことにしましたからね。知りませんよ。
ああ今日もファボついてる嬉しいなってせっせとメッセージ送ってるんです私。
ちょっと憐れまないでそこのあなたw
返事よこせとか言いませんよ。
え?既読無視?既読ファボです
かように一方通行なのですが
私愛したいんですマジで。
結婚した以上は相手をどれだけ愛してもいいという
とても幸せな状態なんです。
LINEで比喩やら倒置法やらをふんだんに使った渾身のギャグを送った際に
既読ついでに電話がかかってくる時など
ああ、私、愛されているなって思いますね。
もうそれで充分です。
充分なんです私は。