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明日は明日の風が吹く

無味無臭・人の記憶に残らないをモットーに人間関係の荒波をいきていく30も半ばを過ぎた私の鬱日記

ブログを書く事による浄化作用とパンドラの箱

考える葦

恥の多い生涯をおくっております、ナゥ。

 

前回も書かせて頂いた通り、またこちらのブログで*1言及して頂いたとおり

ブログと恥 - ウラガミ

ブログを書く。という事自体に恥ずかしさを感じつつ

駄文を垂れ流す自覚と、それでも告知する自分の二律背反に悶えながら

たかだか自分の文章ごときに恥ずかしさを感じる事自体が

最高に自意識過剰で恥ずかしいよオマエ。って今日も自分に突っ込んでみる。

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何故自分はそれでもブログを書いているのだろう。

当初ブログを書き始めたきっかけは、喋る人が誰一人としていなかった引っ越し当時の淋しさから来たものだった、と思いだす。とにかくアウトプットしつつの会話がしたかった。

 

私のブログの内容は、本や漫画や映画や、笑い話等の誰にでも喋れるもの以外は

私の中のブラックボックスという名の「どうしようもない箱」からやってくる。

パンドラの箱といってもいい。

 

怒りや空しさや悲しさや絶望や涙。

私の中の全ての厄災が入っている箱。

 

日常生活を送る上で、解決したくてもできないことも多い。

特に他人と分かり合えることは喜ばしいことだが奇跡に近い。

 

これは夫婦だって家族だって友人だって同じ。

 

解決しないことで生じる怒りや悲しみや諸々の負の感情は

私は自分の中の「どうしようもない箱」に入れる。

 

基本的に私はリアルで泣いたり怒ったり他人を非難したりはしない。

他人からはとても優しく温厚で(どうでも)いい人に見えるようだ。

 

そのかわり「どうしようもない箱」は負の感情のごった煮だ。

私が他人を非難できないそもそもの理由もこの箱に入っている。

夫と知り合って以来一度も喧嘩したことがないという事も

実は自分でうすら寒く思っている。

 

私は歪んでいる。

 

その歪みごと全て。負の感情を凝縮して押し込めた「どうしようもない箱」は

決してあけてはいけないパンドラの箱だった。

 

開けると厄災が溢れだす禁断の箱は封印されていたはずであった。

 

自分で禁断の箱と定義し封印したはずであっても、私はつい出来心で覗いて

少しばかり昔の、辛くて封印していた記憶を引っ張り出して記事にしてみた。

 

当時の辛かった思い出をフラッシュバックしながら

一応は世に出せるよう何度か濾過してなるべく客観的に見つつ

アウトプット作業をした。

 

アウトプット作業をすると少し痛みは和らいだ気がした。

大丈夫、もう私は語れたではないか。

不思議とブログを書く事には自浄作用があった。

 

徹頭徹尾自分のためだけに書いているブログが

さらに自分の自浄作用のために書くものになった。

 

本当に大丈夫かどうかはわからないけれど。

これからも箱の発掘作業をして

幾層かに濾過をしてアウトプットしていこうと思う。

 

私の中では「どうしようもない箱」なんて呼んでいるのだけれど

多かれ少なかれ人間生きていればそんなものは抱えているものだ。

 

時々ひとのブログを読んでいると

その人が抱えているなにかしらを表現しているブログにも出会う。

 

なにかしら、絶望とでも呼ぼうか、闇とでも呼ぼうか。

 

そっと触れるような気持で読んでいる。かすかにあたたかい。

ああ、あなたもか。と思う。

あなたも抱えているのか、と。

 

何故かひとの闇は美しく尊く映る。

絶望や闇を抱えながらも生きる人間という存在が尊いものだからかもしれない。

全ての人間が闇を抱えながら生きていかなくてはいけないものだからかもしれない。

 

願わくは厄災を解き放ったパンドラの箱の奥底にあるものが

希望のかすかな光でありますように。

私にとってもあなたにとっても。

 

そんな事をぼんやりと思いつつ

今日もブログを書いている。

恥にまみれながらも、書いているしあわせ。も此処にある。

 

 

 

*1:書いて頂いた内容がストンと心に落ちました。ありがとうございます。私も恥ずかしいという気持ちを忘れないようにしようと改めて思いました。