小学生男児の致命的などうしようもなさを愛せ
先日小学校の土曜日授業参観に行った際
チャイムが鳴ってもクラスのほとんどの男子が着席しておらず不在であったという
我が子(弟)のクラス。弟は2年生である。もちろん、我が子も不在であった。
授業参観しょっぱなから軽く絶望しつつ
我が子だけ戻ってこなかったらどうしようと恐怖に震えながら待つこと5分程。
授業開始のチャイム後にバラバラと戻ってくる小学2年生男児。夫が”俺もチャイムが鳴ってからしか帰ってこなかったよ?”と援護射撃。そうか。よくよく思い出してみれば自分もだったかもしれない(小猿女子)我が子も戻ってきた(良かった)最終的には一人足りないまま「まあいっか、始めます」って授業を始める担任の先生。これが通常運転か。
チャイムが鳴った時にほとんどの男子が不在だったのに対して
女の子はちゃんと席についていたからね。
今日は授業参観ってことも織り込み済みだったのかもしれない。
自分の親が来るのを緊張しつつ楽しみに待っていたのかもしれない。
この寒い中に短い休み時間に外へ遊びに行く意味はない。もしくは理解できない。のもあるのかもしれない。
やっぱり男の子と女の子って違うなあと思った。
うちには幸い(?)男の子も女の子もいて両方の違いを堪能しながら育児をすることができた。それぞれに違ってそれぞれに良い点はあるのだけれども
小学生(特に低学年)の男児の愛すべきどうしようもなさ。
男の子を持つ親御さんには、このどうしようもなさというのは
よくわかる感覚ではないかしら?
女の子しか持たない親御さんに「大変ですね」と言われながら軽く
憐みの目を向けられるこの感覚。(え。被害妄想ですか?)
だって、彼らは良く動く。むしろ無駄な動きしかしない。A地点からB地点まで最短コースの直線距離で動くことが出来ない。小山があれば登り、穴があれば飛び越え、ゴールがB地点だとすると何故かスタートのA地点まで意味もなく戻ってみたり。よく動くからなのか、人の言うことを全く聞いていない。小言なんかは右の耳から左の耳に抜けているのが可視化できるぐらいだ。人の言うことを聞いていないのとも関連するのか、動く前に予測することもしない。予測から危険を察知することをしない。男の子は経験値からしか学ばない。危ないよ。ダメだよ。と言われてもとりあえず、やってみる。
言ったって聞かない。このどうしようもなさごと愛するしかないのである。
夫が人の話を聞いていないのもしょうがないのかもしれないと思う。
大人になった分だけうまく繕うことを覚えたが今聞いてないなというのはわかる。
夫と子供が血液型と星座が一緒で同じところにご飯粒を付けながら
同じ角度で首を傾けてテレビを見ていると、もう駄目だ。と思う。
男の子は「うるせーくそばばあ」って言う反抗期が来るまで精神年齢や精神状態はほとんど変わらないよ。と先輩ママに言われたこともある。
もう駄目だ。このどうしようもなさごと愛するしかない。
そして、反抗期まで精神年齢が幼いままでいるからか男の子は可愛い。
小さい恋人とは思わないけれど
男の子可愛さをこじらせると我が子の好きな女の子を見に、班が同じだという遠足先までこっそりのぞきに行ってしまう母もいる。怖えよ。明らかに将来お嫁さんいじめるだろそれ。
自分も拗らせないよう気をつけつつ
反抗期まであと5、6年。愛すべきどうしようもなさを堪能しようと思った。